履歴書(その 2) |
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氏名 | 滝本 和広(たきもと かずひろ) | ||
1974 年 8 月 | 茨城県水海道市(現:常総市)にて生まれる | ||
世間ではオイルショック後の不況が続く中,滝本家の次男として誕生.(日本式でいうところの)僕と同じ学年の有名人といえば,草g剛(SMAP),国分太一(TOKIO),松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース),相川七瀬(歌手),レオナルド・ディカプリオ(俳優),室伏広治(ハンマー投げ),和泉元彌( | |||
1975 年 | 取手市立永山保育所に入所 | ||
僕が覚えている中で最も昔の「大きくなったら何になりたいか」はテレビの(しかもフジテレビの)アナウンサーであった(当時午後 6 時のニュースを担当していた故・山川千秋アナウンサーが好きだった).今でも家でテレビを見る時間は結構長い. | |||
当時から数字には興味を持っていたそうである.兄と一緒にかけ算の九九を覚えた記憶はある. | |||
1981 年 3 月 | 取手市立永山保育所を卒業 | ||
1981 年 4 月 | 取手市立戸頭西小学校に入学 | ||
僕が生まれた年は第 2 次ベビーブームの最中で,しかも人口増加が激しい地区だったので,1 学年に 200 人以上いて,全校児童も 1000 人以上いた. | |||
この頃,将来なりたかった職業は電車の運転手から政治家までいろいろあったのだが,数学者(数学の先生)はまだその中の一つであった.変わったものとしては,NHK教育テレビの「数学講座」の講師というのもあった(顔もしゃべりもダメだということに後で気づくのですが……←でも一度はやってみたい). | |||
1985 年 7 月 | 筑波の科学万博に行く | ||
家族で 1 回,小学校で 1 回の計 2 回行く.当時は筑波の町がまるで未来都市のように思えた.常磐新線(つくばエクスプレス)も 2005 年 8 月に開通して漸く便利になりました. | |||
1987 年 3 月 | 取手市立戸頭西小学校を卒業 | ||
この履歴書を書くにあたり,初めて母校の HP を見たのですが,今でも校内で採れたたけのこを給食に出していたりして,昔とあまり変わっていないんですね.でも昔は「たけのこ園」と呼んでいた気がするんですが,今は「たけのこランド (←現在 HP は閉鎖)」なんですね. | |||
1987 年 4 月 | 私立開成中学校に入学 | ||
不得意中の不得意だった国語が,入学試験の時だけなぜか解けてしまい,歓喜の合格. | |||
1987 年 6 月 | 数学研究部に入部 | ||
今は国際数学オリンピック(IMO)に代表を輩出するほどであるが,入部当時は「数学好きが集まって楽しむ部活」という雰囲気で,実際文系に進む人が 7 割近くいた. | |||
僕自身も,最も好きな科目は数学ではあったが,(大学数学などの)進んだ勉強をしようとしていたわけではなかった. | |||
1989 年 1 月 | 昭和が終わり,新たな元号・平成がスタート. | ||
平成最初の日(平成元年 1 月 8 日)は某 Y ゼミで模擬試験を受けていた. | |||
1990 年 1 月〜2 月 | 日本が初めて参加した国際数学オリンピック中国大会の国内予選に参加するも,敢えなく予選落ち.しかし,そのことを特集したTBSの「報道特集」の中で,問題に取り組む僕の手と答案が一瞬放映される.これが初めての TV 出演(?). | ||
1990 年 3 月 | 私立開成中学校を卒業 | ||
1990 年 4 月 | 私立開成高等学校に進学 | ||
1990 年 7 月〜8 月 | アメリカ・サンディエゴ郊外にて約 3 週間のホームステイ.これが生まれて初めての海外渡航.当時は「少しは英会話も上達したなぁ」と感じたが,今のところそれ以上の進歩はない. | ||
1990 年 9 月 | 数学研究部第 15 代部長に就任 | ||
1991 年 3 月〜4 月 | 国際数学オリンピック・スウェーデン大会の代表選手選抜合宿に参加する 日本数学オリンピックの結果,この合宿に参加することになったのだが,優秀な参加者たちに圧倒される.こんな世界もあるのか,と勉強になった.この時は「代表になってやる」という気持ちは全然起こらず,こんなに「できる」人たちと一緒にいられることが幸せであった.ただ,このときのすごいメンバーとの出会いや合宿に参加した経験が今の僕に大きな影響を与えたのは間違いない. | ||
1991 年 7 月 | 第 11 回高校生クイズ全国大会に出場 | ||
関東大会では,事前に全く何も準備せず,気合いも入れず,最初の 2 問はわからないからジャンケンで決めて……などとけしからんことを繰り返しながらもあれよあれよという間に勝ち上がり,いつの間にか(東京都民のいない)東京都代表になってしまう.今となっては開成も高校生クイズの常連になりつつあるが,この年が開成にとって初の全国大会出場であった. | |||
これが僕にとっての 2 度目の TV 出演(顔と声は初).結局全国大会準々決勝で敗退した.今思えばあと一歩で富士山に登れたのだから勿体ないことをした.全国大会の出場者は知識量もスゴイし,早押しもとんでもなく速かった.こんな世界もあるのか,と勉強になった.この後,翌年の高校生クイズまで少しクイズの勉強もする(といってもクイズ研をつくる,ということではなく友人とたまに遊んでいた程度).しかし準備をして臨んだ第 12 回高校生クイズ関東大会では 2 問目敗退.こんなものです.でも一緒に参加したメンバーにとても感謝しています.因みに第 11 回大会の優勝校は福井県立高志高校. | |||
1991 年 9 月 | この年の文化祭を最後に数学研究部を引退 | ||
1992 年 3 月〜4 月 | 国際数学オリンピック・ロシア大会の代表選手選抜合宿に参加する この年は日本数学オリンピックで銀賞をいただいたのだが,代表にはなれず.やはり代表になった人たちはスゴかった. | ||
1993 年 2 月 | 私立開成高等学校を卒業 | ||
1993 年 4 月 | 東京大学教養学部理科 1 類に入学 | ||
大学入試では国語はあまり解けなかった感じでした…….あっ,でも漢字だけは満点取りましたよ. | |||
僕がいた 22 組には,高校 3 年生の時に同じクラスだった人が,僕以外に 2 人もいたのは偶然とはいえびっくりした.今思えば 22 組はとても優秀なクラスで,大変お世話になりました. | |||
1995 年 4 月 | 東京大学理学部数学科に進学 | ||
数学科進学に伴い本郷キャンパスに通学するようになったのだが,数理科学研究科・数学科が駒場に移転してしまったため,本郷通いはたったの半年で終了. | |||
駒場に戻ってきた後,3 年生の冬学期には Kirwan の "Complex algebraic curves" を,4 年生の夏学期には組み合わせ論(ヤング図形)の本を読んだが,この時点ではまだ自分が偏微分方程式を専門にするとは思っていなかった. | |||
1997 年 3 月 | 東京大学理学部数学科を卒業 | ||
1997 年 4 月 | 東京大学大学院数理科学研究科数理科学専攻修士課程に入学 | ||
国語? 院試には国語はないのです……. | |||
指導教官は堤誉志雄先生(現在は京都大学).Gilbarg-Trudinger の "Elliptic partial differential equations of second order" を読む.ここから,完全非線形偏微分方程式の世界へと入っていった. | |||
1999 年 3 月 | 東京大学大学院数理科学研究科数理科学専攻修士課程を修了 | ||
1999 年 4 月 | 東京大学大学院数理科学研究科数理科学専攻博士課程に進学 | ||
指導教官は俣野博先生. | |||
2003 年 3 月 | 東京大学大学院数理科学研究科数理科学専攻博士課程を修了 | ||
2003 年 4 月 | 広島大学大学院理学研究科数学専攻数理解析講座・助手 | ||
それまで住んでいた茨城県守谷市から広島県東広島市に転居. | |||
2004 年 5 月 | 某 TV 番組に出場 | ||
院生時代に予選会を 2 回受けたことがあったが落選.それで就職もしたことだし心機一転もう一度予選を受けてみるかと思ったら,予選会を合格してしまい出場することに. | |||
子供の頃思っていた夢の一つに「クイズ番組に出場して賞金をもらう」というのがあった.僕が子供の頃(1980 年代前半)はクイズ番組の黄金期で,毎日のようにゴールデンタイムにクイズ番組が放送されていた.といっても,クイズが好きというより(当時としては破格の)賞金・賞品に憧れていたという方が正しい.ともかく,その夢を果たしたことになる.結果は……僅差の 2 位.←実は結構悔しかったんで,出場したことを同僚や学生さんにはあまり教えなかった…….でもとってもいい経験をさせてもらいました.沢木美佳子さんはホント美しかったし,児玉清さんもカッコよかったし.因みに,2009 年になったらもう一度出場したいと密かに思っている. | |||
児玉清さんに謹んで哀悼の意を表します.(2011 年 5 月 18 日). | |||
2007 年 4 月 | 広島大学大学院理学研究科数学専攻数理解析講座・助教 | ||
2008 年 5 月 | 広島大学大学院理学研究科数学専攻数理解析講座・准教授 | ||
2020 年 4 月 | 広島大学大学院先進理工系科学研究科先進理工系科学専攻数学プログラム数理解析講座・准教授 | ||
現在に至る.これからも頑張ります. |